
高津地区から緑ヶ丘の再開発地区まで散策してまいりました。
目的は、通称「幕張千葉NT線」「幕張筑波道路」の八千代市内区間にあたる八千代西部線の計画地めぐりです。
緑ヶ丘の奥のほうはすでに区画整理と道路整備は半分ほど完了しており、「はぐみの杜」という名前でオシャレな街になり始めています。
成田・酒々井の「公津の杜」、習志野市津田沼地区の「奏の杜」、、最近は「~の杜」という名前が流行っているのでしょうか。
つまりインプレスさんの「窓の杜」は時代を先取りした命名だったということに(
閑話休題。
周ったのは記事上部のマップの赤いラインのルートです。
なかなかたくさんの収穫があったので、今回はその第1段として、高津地区~新木戸地区の部分について取り上げます。

早速ですがここは陸上自衛隊習志野駐屯地の演習場の裏です。
誰かが演習場内に入ってきてしまうと危険、ということで、演習場の周りはフェンスで囲まれております。
フェンスに沿って防草シートを敷いているところもありました。
警備装置の類のものが設置されているのでしょうか。

気になったのはここ。
側溝の様子などからして、一応公道扱いなのですが、住宅の玄関口が接続しているわけでもないのにここだけちょろっと道路が伸びています。
奥に見えるのは演習場の仕切り。
有事の際、周辺住民が場内に避難できるようにするためのモノというふうに見ることも出来るのでしょうが、演習場のフェンスに人が入れるようにするための入り口のようなものは見当たりません。
火災などの際に消防がここから放水できるようにしている、という考え方もできるかもしれませんが、消防活動を想定しているにしては少し狭すぎるようにも思えます。
恐らく、将来演習場が移転ないしは縮小し、土地が市に払い下げられたときに道路が引けるようにしているのでは、と考えました。
そして演習場沿いにちょっと歩いたところ。

境界杭です。
「防衛」とまで見えるのですが、そこから下はコンクリートに埋まってしまって見えません。
古さからすると、ひょっとしたら「防衛省」ではなく「防衛庁」という表記になっているかもしれませんね。
そして不思議な鳴き声がしたので、フェンス越しに演習場内を覗いたら

わかりますでしょうか。
鳩やカラスよりも二回りほど大きい鳥が歩いてました。
演習場内はフェンスで囲まれ、場内は自然で溢れています。
動物を放し飼いにするにはちょうど良いのかな。
続いて演習場の敷地に沿って新木戸方面に向かっていくと、高津の三叉路から来た道路とぶつかります。





ここから若干、道幅が広がります。
更に新木戸方面に向かうと怪しい場所が。




道に沿って団地の建物が並んでいるのですが、やや建物が奥まっております。
そして、電柱も。
2枚めの写真では、よく見ると左側にもスペースに余裕があることがわかります。
もしかすると、将来片側2車線の道路を引くための予約地なのでしょうか。
役所の資料もともに作成した八千代西部線の位置ともなんとなく合致している気がします。
(最上部の地図の緑色のライン)
さてさて、これで新木戸に到達したことになりますが。
ここから県道57号線に入り、坪井町を抜けていきます。
それは次回以降の記事で。
一部妄想込みの見立ても含まれておりましたが、八千代市は演習場が無くなった後のことも想定しながら道路づくりをしているということは実際に観てみて感じました。
余談ですが。
知り合いの陸上自衛隊好きからこんな話を聞きました。
「空挺団のいる習志野の基地には、実は作戦に使えるほどのヘリや飛行機は存在しない。」
「実際の機材はすべて木更津の駐屯地にいる。」
「首都圏に少しでも近い場所に、という発想は正しいが機材が木更津にいる限り、習志野に空挺団を置いておく必要は無いのでは」
もしかすると、防衛省も将来的に習志野の部隊を移転する構想をしているのかもしれません。
習志野市だけでなく、八千代市、船橋市の結構な範囲も昔は「習志野」と呼ばれていたわけですが、その由来は習志野の基地と深く関わっております。
空挺団がエリート集団ということももちろんあるのでしょうが、そういった理由から習志野駐屯地が地元にあるということに誇りを持っている住民は少なくないはず。
八千代西部線を含む幕張千葉NT道路構想は、地元住民にとっても実現すればとても便利なものになるでしょう。
ですが、この計画が演習場の場所に道路を通すこと前提であることには、同じく習志野という地名に誇りを持っている人間としてやや葛藤を覚えます。
悩ましいですね。
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